みなさま、こんにちは! @steemit-jpさんのコンテストに参加させていただきます。私の宝物は写真です。昔はデジカメもスマホもなかったので、なくすともう二度と手に入らない可能性が高いです。大切に保管しています。
私が劇団にいたころの写真です。中学生の頃、演劇に目覚め、吉本の花月にあこがれていました。20歳頃から24歳ころまで役者をしたり、舞台照明をしていました。
生バンドで歌う!
写真をアイパッドで写しているので、あまり綺麗に写すことができないのが残念です。ピンク色のミニスカートをはいているのが私です。当時アマチュアバンドの大会で優勝した有名なバンドが劇団のオリジナルの歌を作曲してくれていました。このミニスカートはビニール傘で作ったんですよ。懐かしいなぁ! これはリハーサルの写真です。
あの時の緊張は忘れられない!
ほとんどの舞台がミュージカルでした。一人で歌った時は、全身の毛穴から血が噴き出すんじゃないかと思うほど緊張していました。
舞台装置
この舞台装置を見てください。本番当日に作るので、朝五時頃から劇団員みんなで一生懸命作ったのを覚えています。予め、筋交い、建枠、クランプなどを建設現場から借りておき、ど素人の私達が組み立てていました。今考えたら恐ろしいですね。ヘルメットも被らずにやっていたんです。よく怪我人がでなかったと思います。
1メートル先はお客様
アトリエ公演をやったことがあります。役者は三人だけです。向かって一番左側が私。当時の本業は銀行員でした。銀行の先輩がチケットを買ってくれて観に来てくれました。この時の公演では喫茶店を一時的に改造して舞台と客席にしました。ほんの1メートル先にお客さんが座っているわけです。心臓の鼓動が衣装の上からでも見えるんじゃないかと思われるくらい緊張したのを覚えています。一時間出ずっぱりのお芝居でしたから、台本の1ページ分のセリフもあったりして、ほんとうに心臓破りの青春の一ページです。
本番前の楽屋
本番前の楽屋で自分でメイクした後の写真です。隣にいる人はプロの劇団に就職したと聞きましたが、本当のところは分かりません。彼は演劇部が有名な大学で演劇部に所属していました。この劇団に特別出演してくれたわけです。ちなみに私の息子も彼と同じ大学に行きましたが、演劇部に入らなくてよかったと思います。学業よりも演劇に夢中になる学生が多いとか?
私は、人を笑わせるコメディータッチの役によく抜擢されていました。吉本に入りたかったのですが、24歳頃から精神力、体力ともに限界を感じて結局普通の仕事をやっていました。
反抗期がなかった!
私は、小学生の時、非常におとなしく目立たない子でした。中学生の時に演劇部に入ったわけですが、高校も大学も演劇部がなくて再びおとなしい性格に収まっていたわけです。私の舞台をたまたま観た小学生の時の友達が、楽屋にやってきて、「ほんとに○○さん? ○○さんよね? すごい!」と言ってびっくりしていたのを覚えています。
人って、なんかのきっかけで、爆発的に変わったりするんですね。
私には反抗期がなく、いつも良い子でした。しか~し、反抗期はあったほうがいいんです。私の反抗期は大人になってから始まりました。正確には芝居を始めてからが反抗期でした。
公演期間中は、何日も家に帰らない。芝居がはけると、打ち上げは夜中から朝まで。朝まで飲んで一睡もせず酒臭い息で出勤! 自宅に帰宅すると、父が怒ってハシや茶碗を私に投げつける始末! 「おまえはもう帰ってくるな!」と父。今、考えると、親にはなんと心配と迷惑をかけたのでしょうね。
一度、そごうの紀伊国屋書店で、「円城寺リサ(芸名)さんですよね? この前のお芝居見ました。」と、知らない人から声をかけられたことがありました。こんなことがあると益々調子に乗ってやりたい放題の生活をしていたわです。
いろんな思い出がぎゅっと詰まった私の宝物はこの写真です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。